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歴史認識を乗り越える

 日中韓の対話を阻むものは何か
著者 : 小倉紀蔵
講談社現代新書 1819
講談社 東京 2005
定価 720円(税別)










 昨年(2016年)6月と今年3月に韓国の鬱陵島を訪ねた。ここは竹島(独島)問題の最前線地である。島内には独島博物館があり、野外の展示場もある。その展示場に「対馬は元々われわれの領土だ」と主張する石碑が建っている。困ったものだと思いつつ、韓国関連本をあさってみた。それがこの本である。

 この本は以前に購入して読んでいたが、対馬問題に関連してもう一度読み直した。
 小倉は次のように言っている。
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 たとえば、竹島(韓国名。独島)の領有権問題に対して、韓国ではこれを『学問的な検証の結果、日本の領土と考えられる』とする学者はひとりもいないが、日本にはこれを『韓国の領土である』とする有力な学者が多くいる。そして韓国の学者が『独島は韓国領』と主張する際の強力な論拠を、これら日本人学者は実証的で緻密な研究により提供しているのであり、『梶村秀樹、堀和生、内藤正中らが主張しているように』という形で韓国人学者の論文に引用されるのである。
 純粋に学問的見地からいって、日本の学者の見解に複数の論が存在しうる問題に関して、韓国の学者においてはただひとつの論しか存在しえないということは、そこに何らかの政治性が介在していると考えるのが妥当であろう。事は竹島問題に留まらない。従軍慰安婦問題にせよ、植民地近代化論にせよ、すべての歴史問題・領土問題においてこのような構造が見て取れるのである。

 最も自由であるべき学問領域においてさえ政治性・一個性が支配しているわけだから、それを増幅する形で教育現場・マスコミ・家庭・交友関係などにおいてこの政治性・一個性が強力に醸成されるのは当然といえる。

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 日本人のナショナリズムには極度に神経質な否定的反応を示しながら、自国のナショナリズムに対しては無反省であるばかりか、・・・・・

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 このような一種の幼児性を許してきた最大の要素は、日本による植民地支配という傷と戦後世界の体制であるが、同時にそこに、日本人の<ゆるす>姿勢という要因があったことも事実なのである。
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 もちろん、標題に言う歴史認識を乗り越えるための方策も提起している。


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